いよいよ今日からヒマラヤトレッキングです。
昨日の遅れを取り戻すため、朝の5時半から出発です。
太陽はまだ昇っておらず、外は真っ暗、気温は氷点下です。
そんな過酷な条件のもと、エベレストを目指して
出発です。
さて、このエベレスト街道ですが、ルクラ(LUKLA)から上り坂が続き、どんどん標高を上げていくわけではありません。
ルクラは標高2840mですが、ここから約15km先のジョルサレ(JORSALLE)は標高2804mとルクラより低いのです。
そして、出発して10分も経たないうちに、最初の下り坂でとんでもない、本当にとんでもない大事件が起こります。
「ゴロゴロ・・・ポキッ」、そんな音とともに一人の仲間が転がり落ちています。(・・・)
凍った地面に足を滑らせたようです。
苦悶の表情で座り込み足首を気にしています。
その様子を見て、一瞬にしてカチコチに凍りつく私たち。折れたのは、ポールか足か、それとも彼のこころか。
買ったばかりのトレッキングポールが、彼の脇でくの字に曲がっいます。
骨折はしていないものの、足首がいってしまったらしく苦悶の表情が続きます。
そして彼が一言、「だましだまし行きます。」(うっそーーーー、どんだけ騙すの!!)
しばし無言のまま、私たちは、ゆっくりゆっくりと坂を下ります。
うっすらと空が明るくなってきました。しかし、私たちのこころはまだ深い闇に包まれています。
ゾッキョかヤクかはわかりませんが、ヒマラヤトレッキングの象徴が登場です。
はじめての対面で、少しテンションが上がります。(あれに乗せてもらうことはできるのかな〜)
ヒマラヤ街道沿いには、所々に村があります。
朝が早いため、まだ店は開いていませんが、これなら食料・水分の補給は問題なさそうです。(ドクターもいるかな)
ヌプラ(標高5885m)の頂きが朝日に照らされ光り輝いていいます。
その傍らでは、月がまだ顔を出しています。
ヒマラヤの夜が明けてきました。
ここでは大きな荷物を運んでいるポーターをよく目にします。
って、でか過ぎです。この荷物を持ってどこまで行くのでしょうか。(恐るべし)
チャプルン(CHEPLUNG 2660m)に到着です。
しかし、足を痛めた友人はいっこうにペースが上がりません。
仲間の優しい一声で、負傷した友人の荷物を順番に持つことにします。
前後に大きな荷物をしょって歩きます。
ロバたちといっしょに、仲良く吊り橋を渡ります。
ロバ使いの後方から負傷した友人がゆっくりゆっくり進んできます。
ちなみに、ダブルバッグズの負担(約30kg)はかなり大きく、この状態での上りは地獄です。
バッグに振られ腰を捻ります。こっちが先に壊れるのか・・。
ダブルバッグズのときは、負傷した友人を残し、自分のペースで休みながら進みます。
トレッカーに交じりスーツ姿の地元民が歩いています。(通勤かな)
エベレスト街道は、埃っぽいのでスーツや革靴はすぐに汚れそうです。
行く手をロバの群れが塞いでいます。
ロバに蹴られないように、優しくかき分けて進みます。
ガット(GHAT)まで来ましたが、標高は2565mです。
出発したルクラの標高が2840mなので300mほど下ったことになります。
4000m越えを目指しているのにマイナスです。
今日は遅れを取り戻すはずでしたが、ペースを上げることは、全くできません。
気持ちを切り替えるとともに、これからの作戦を練るために朝食にします。
でも、その前に、友人は痛めた左足のケアです。
自ら持ってきた救急セットが役に立ちます。入っていた包帯で足首を固定します。
そして、痛み止めにとロキソニンを飲みます。(まだ、歩けるのでしょうか)
レストラン(自宅の一部が食堂になっている)に入ります。
この家の子供が朝食にモモを食べていたので、私たちもモモをいただきます。
さらに、チャパティとオムレツのセットもいただきます。
チャパティーの上に薄いオムレツがのっています。インドと同じような薄いやつです。
腹が満たされ、幾分、気分が軽くなった気がします。
そして、作戦会議の結果、「ダブルバッグ作戦」は体への負担が著しいため終了とし、新たに「行けるところまで行ってみる作戦」を展開することにします。
(どこまで行けるのだろう)
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☆アミーゴ旅日記☆